笹尾山砲台跡(前編)
1886年(明治19年)
この国を護るための要塞を築くことが計画された。
その一部が関門海峡に設置された下関要塞である。
北九州市門司区笹尾山。
ここにも笹尾山砲台と言われる、海岸の船を迎え撃つ砲台が設置されていた。
出発した時間が午後3時を過ぎていたので到着したのは午後4時前。
冬の日没の早い時期なので、辺りは夕日に照らされていた。
山の上から見下ろす関門海峡はとても綺麗...、とか感心してる場合じゃない。日没したら、趣を感じるどころか恐怖しかないので先を急ごう。
アスファルトが草に覆われて、いよいよ山道という感じ。
この感じ、ワクワクが止まらない!
わ!いきなり遺跡のようなものが。
実は、高倉山堡塁の方は以前訪れたことがあったんだけど、登山経験の薄い自分にとってはすこぶるきつかった。落石に怯えながら二時間くらい(盛った?)かけて登ったから、唐突に現れた遺跡に思わずビビったけど、今回はその逆で、早すぎてビビった。
とりあえず”見てくれ”じゃよくわからないのでスルー。
すると、途中ぬかるみが出現。
わかりにくいと思うけど、写真左に煉瓦が散乱しているの見える。
これを見つけた僕は、この探索初の煉瓦に興奮して、ふつーにぬかるみに駆けていった。
ジュボ
ああ...、やらかした...。まだ新しい靴が、まるで地面にくっついたみたいに取れない...。
なんとか脱出するも靴は泥まみれ。いきなり嫌な汗をかいた。
煉瓦の正体は分からず、建物が壊れたのか、ただ放置してあったのかもイマイチわからなかった。
ちょっと落ち込みながらしばらく行くと、開けた場所が。
左右に道が分かれている。
それにしても、冬なのに藪がすごいなぁ...とか思いながら辺りを見渡していると、
!?
一瞬分からず見落としていたが、向こうはずっと、黙ってこっちを覗いていたみたい。
この初対面の瞬間が何ともたまらない。やはり、その出で立ちにはゾッとしながらも、約100年もの間、その形を残していたことに感動を覚える。
近づくと、”第四號”と書いてあった。
右書きっていいよね!
ここの窓には僕が訪れた、大久野島、高倉堡塁の弾薬倉庫と違って木枠が現存しているのだ。ああ、よくぞ残ってくれた。
すぐ左を向くと第五號と書かれた倉庫が。
見つかっちゃった...。
そんな風にそこに立っていた。
それまでの藪だらけの地面は、ちょうどその倉庫の前から小さな草と苔むした石が広がっていた。
第四號は中に、自転車とかブラウン管テレビが捨ててあったり、便座も何枚か(なんで?)捨ててあったけど、第五號の中はまるで、掃除してくれたかのように綺麗だった。
この煉瓦の積み方はフランス積みと言う。フランドル地方で生まれた積み方なので、そう言うのだと。
なんでも、煉瓦の積み方の中では最も美しいものらしい。
欧米諸国に追いつけ追い越せの時代。日本における赤煉瓦建築は、そんな時代の勢いを今に伝えてくれている。そんな風に感じた。
ごめんなさい、記事、続きます。
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